映画「楢山節考」の貧しさがもっと攻撃されなければならない 今村昌平監督の映画を…
映画「楢山節考」の貧しさがもっと攻撃されなければならない 今村昌平監督の映画を初めて観る機会がありました。 海外でも高評価の監督みたいなので期待していたのですが、 冒頭からわが目を疑いたくなる程の貧しさで画面が覆い尽くされて唖然としました。 当たり前の事ですがここで言う「貧しさ」とは、登場人物たちの虚構としての貧しさの事ではありません。 あくまで映画として貧しい、 貧しい映画ですね、これは。 だいたい何故、≪東北地方の人里離れた山奥≫という舞台の説明に、空撮が必要なんでしょうか? これが表現として貧しくない、と言うならばこの世に貧しさなど存在しないに違いありません。 百歩譲ってこれが映画的文脈において正当化されるのだとしても、撮られ方がとてもまずい。 まずすぎる。 私はこういう言い方は嫌いなんですが、 こんな事にお金を使うのならば、その金で実際に不幸な婆さんの一人でも救えたんじゃないか、と思わず言いたくなるくらいにまずい。 映画が物語として描いている不幸な婆さんよりも、この映画の在り方の方が百倍、不幸です。 30年も前の映画を引っ張り出してきて、ある一人の監督を貶めようなどと思っている訳ではないのですが、 これでは単純に、今村監督のその他のフィルモグラフィに手を伸ばそうととても思えないではないですか。 私の記憶ではベネチアかどこかで賞をとった「うなぎ」という作品も今村監督だったと思うのですが、 「楢山節考」を最初に観てしまったのが間違いだったのでしょうか? それならば、然るべき人が楢山節考は観るに値しないという真実をどこかで明らかにしておいてもらわないと困ります。 数時間を無駄にされて、私は怒っています。 そこで質問なんですが、今村監督の映画で、「楢山節考はダメだが、これはいい」というものがありますんでしょうか? あと一作だけ、疑いの目を向けながらも観てみようと思います。 ちなみに「うなぎ」も未見です。